自分ごときが

気が付いたら前回の投稿から3ヶ月が経過しておりました。目の前の業務に忙殺され、なかなかまとまった時間を確保することができませんでした。生存確認を行うと同時に最近考えていた事を備忘録程度に記します。

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配属された新入社員の指導を4月から担当することになりました。指摘を素直に受け入れ、周囲とコミュニケーションを積極的にとるチャーミングな後輩です。ポンコツだった入社当時の自分の姿勢と比較すると少し恥ずかしくなります。自分も彼のように真摯に仕事に向かい合うことが出来ていれば、今頃もっと仕事が出来るようになっていただろうにと深く反省しています。 

彼が迷いながらも周囲のサポートを得て前進する姿勢を見ていて、入社当時自分に求められていたのはこの姿勢なんだと強く胸を打たれました。自分がどう思うのかという事に関係なく、相手が何を求めているのかをベースに業務を進める。壁にぶつかりながらも、業務をいなさず 不格好でもやり切る姿勢、まさにこれだったのかと今更ながら分かるようになりました。


そんな彼の姿勢を見ていて、仕事の意義を深く考えてもしょうがないなと、勉強になりました。入社当時の自分を振り返ると、担当していた業務に対し、「これの何が面白いのか?」「やる意味・意義が本当にあるのか?」 こんなことばかり考えていました(できもしないくせに)。今振り返るとそれは石井ごときが考えることではなく、仕事を依頼してきた相手が考えること。自分がどう思うとかは全く関係なく、相手の需要に応えることが仕事であり、自分はただ一生懸命に与えられた仕事をコンプリートする、これが出来て一流なんだと感じました。


「最初の社会人10年間は人生の下積みで、 芸の肥しだと思って何でもやってみる。」
「仕事をいなさず、意義や結果は相手(顧客) が決めることなので、何でも飲み込んでやってみる。」


一線級で活躍する坂上忍有吉弘行、千鳥など一流タレントだって、皆黙って求められた事だけを愚直にやっている 。
イチローや大谷だって野球が尊いと思ってプレーしていないはず。
能書き垂れてないで、食わず嫌いなく何でもそして誰とでも仕事をする事の重要性を学びました。

とっ散らかってていいよ

f:id:koheisblog:20210216145211j:plain2021年初投稿です。神田明神で引いた御神籤は凶で幸先の悪いスタートになりましたが、今年もどんどんシェアハピできたらなと思っております。宜しくお願い致します。

 

2020年は業務の守備範囲も増え、新しいことにもチャレンジできた非常に充実した一年でした。チームへのコントリビュートも出来たし、なにしろ命を無駄にせず生きた心地が十二分にした濃厚な一年でした。

 

ただそれなりに反省もあります。折角大企業に入ったのに穴埋めドリルのような仕事が多かったなぁと思ってます。(誤解なきよう詳細を話すと)日々の忙しさを言い訳に世の中を変えるようなエポックメイキングな取り組みやそれに準ずる新しい仕掛けにリソースをベットすることが出来なかったと悔やんでいます。(なので決して既存の仕事がold fashionだと言ってるわけでないです)

 

ピカソは絵が下手というのは誤認識で、彼のデッサンは超天才級。基本を押さえているからこそ彼独自の世界観を描ける。

 

これは確かに事実で、ビジネスマンとしての基礎素養を固めて始めて外の世界で勝負できるようになるという真理にはagreeですが、自分の独特な世界観を外界に、発信してムーブメントをおこさないと、プライスレスな打席感覚は得られないこともまた事実。

 

故に2021年はとっ散らかっててもいいのでどんどん仕掛けをしていきたいなと考えてます。変にまとめる必要はない。仕掛けして仕掛けて仕掛けまくろうと思います。

MLB 高齢監督の現場復帰ニュースから考えること

先日野球評論家お股ニキさんが以下のネット記事をリツイートしていた。

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(https://www.nikkansports.com/m/baseball/mlb/column

/mizutsugi/news/202011070000976_m.html?mode=all)

 

本記事の要旨は「昨今MLBでは70歳を超える老齢の方が現場に復帰するケースが多く、監督に求められる能力がデータを操る能力よりも組織をマネージする能力にシフトしている」であった。マネーボールに代表されるように、データドリブン的な野球を繰り広げできたMLBが再び非データ的な要素にスポットライトを当ててチーム運営を行う方向に転換している様が記されている。

 

数量データに傾倒しすぎている現状からの脱却がMLBでは既に起こっていることをこの記事は暗に示しており、示唆に富む内容だと感じた。お股ニキさんがリツイートした背景にもそういう重要なメッセージが込められていたのではないかと僕は推測している。

 

記事なのでDetailまでは書かれていないものの、この記事からはSTEM的なアプローチと人文科学的なアプローチのバランスが重要であることが分かる。野球界に限らずの話だが、Science, Technology, Engineering, Mathematics この4分野がコーランであるかの如く世界の知的生産を始めとした問題解決思考に於けるベースとなっている。要するにテクノロジー至上主義が世界を席巻しており、数字に落とせない審美眼的な価値は軽視される傾向にある。もっと平易に言えば、野球界の場合、OPSという数量データはmake senseする腹落ちの良いfactとして捉えられているが、サイエンスやテクノロジーで説明ができないポール間50本のダッシュは無価値なものと整理されている状況がまさにこれにあたる。

 

可視化されたデータを唯一神の如く捉え、それを軸に野球を紐解こうとする姿勢は誰の目にも間違えはないように見えるが、そこには危険も伴っている。具体的に見ていくと

 

数量データには

①因果関係が示されていないこと

②コンテクストが示されていないこと

③無視される項目が大量にあること

 

①数量データには因果関係が示されない

数量データには因果関係までは含まれていない。打者Aの空振り率が15%という数量データから分かることはストライクに対し15%の空振りをするという過去のfactだけで、何故15%も空振りをするのかという因果関係までは示されていない。こう聞けば当たり前の事と皆感じるが、数字を目の前にすると人間の思考は停止しがちである。チャンスで打席に立った選手の得点圏打率が5割と解説者が話すのを聞いて理由もなく期待してしまうのはまさにこの状態で、知らず知らずのうちに数量データを過大評価してしまっている。

 

②数量データにはコンテクストが示されていない

因果関係に留まらず数量データには文脈がない。数量データからは「左投手」の「低めのスライダー」を「カウント2ストライク2ボール」の時に「空振り」したというような表面的な情報は容易に手に入れることができるが、もっとdeepな情報は手に入らない。そもそもだが「空振り」という結果はそんなに単純でインスタントな結果ではない。寧ろ非常に複雑で紐解くのは容易ではない様々な複合的要因を背景に発生する結果である。例えばその低めのスライダーを振ってしまった背景として、実は昨晩のスポーツ番組の1シーンで、対戦相手の投手が前回登板の時に自分と似たようなタイプの打者に甘い変化球をスタンドに運ばれていた映像を見て、その映像が残像として残っており、変化球では勝負してこないのではないかと勘繰り、直球に山をかけて振りに出たところ裏をかかれて変化球だった。こういう文脈も十分にあり得る。つまり結果とは複雑な文化的要因が幾重にも重なって実行されたゴールであり、数量データのような薄い情報のみからは実態は分からないことが殆どである。

 

③数量データには無視される項目が大量にあること

空振り率15%という数字の裏ではノーカウントとなった85%の非空振りデータは無視される傾向にある。また意図的に空振りをすることで投手との駆け引きを優位に進める選手がいる。そういった事項も数量データからは読み取ることができず、なかったことにされてしまう。

 

ややガス欠になり尻すぼみしたが数字が全てと考えているひとが多いが、深いinsightを持つためにはなぜそういう判断をしたのか、人間的な視点やその文化を理解することが重要である。きっとMLBの幾つかの球団も数量データには現れない長年の経験から培った直感力、嗅覚、STEMでは立証しきれない野球への深いinsight、これらの重要性を再認識しているのだと思う。

 

一点お含みおき頂きたいのが、STEM的なアプローチを取ることに対する危惧を述べているのではなく、失われたバランス感覚に対して問題意識を持っている。もっと人間的な、簡単には理解できない複雑系な文化システムを理解する必要がある。

 

今回は以上、次回は2020年の総括を年内に一本纏める予定。

 

Go Wild!

n倍化から富が生まれなくなった次の世界を生きる上で僕はどう社会に、そして会社に貢献していくべきなのか、最近はこんなことをよく考えている(n倍化についてはシンニホンを読んだ人は分かるはず)。after n倍化の世界では妄想が富を産むと安宅さんは繰り返し表現している。社会や組織にインパクトを残す方程式として 

 

夢×技術×デザイン

 

を挙げ、この方程式から世の中を変えるような事が産まれると述べている。

 

僕にとっては少し解像度が低く、咀嚼しきれなかったので自分に必要なスキルや考え、スタンスは何なのかとちょっと考えみてみた。忘れないように今日時点で出てる解を少しまとめてみる。今後更にブラッシュアップをしていくつもり。

 

after n倍化を生きるために身につけるべきスキルや考え

①深いinsight持つ

②そのinsightを他の人に理解してもらうための解像度の高い表現力を持つ

③人にサポートをしてもらえるようなチャーミングな部分

 

①深いinsightを持つ

after n倍化を生きる上で何が必要なスキルや思考なのかを探るため、周りの友人や先輩、上司で仕掛け力が高い人を探してみた。まず自分の会社にいる仕掛け力が高い人は常識を否定する深いinsightを持っているのではと感じた。そういう人が仕掛けたり、計画したりすることは大体、本質的でありつつ論点に抜け漏れがない。そしてそのinsightはいつも目の前に出てきた数字(fact)に基づいており、provenなことは何かを理解し、手なりで考えている。普通の人が考えているよりも何倍も洞察が深い。

 

②豊かな表現力を持つ

そのような深いinsightを持っている人は大体自分のワールドを人に理解してもらいattractする為の豊かな表現力を持っている。この表現力に就いては既に以前のログで考えを纏めているのでそちらに詳細は任せるが、要するにリベラルアーツが大事だということだ。中でも三学(文法・論理・修辞)がかなり重要でここは徹底的に拘り、自習をした方が良い。

 

③人にサポートをしてもらえるようなチャーミングな部分

結局のところ人は一人では何もできない。スケールが大きければ大きいほど多くの人の協力を得て、コンセンサスを取らないといけない。擦り合わせや政治力も必要で、誰かに動いてもらうことが殆どだ。どんなに凄そうなカリスマにもそれを支える裏方がいる。歌手だって作詞家がいるし、お笑い芸人だって作家がいる。規模が大きければ大きいほどサポーターが必要となる。サポートを得ることを大きな変化をもたらすことの前提と考えた時、チャーミングな部分はどんなスキル以上に必要なパーツと言える。高圧的で、人間味がない人より、ちょっと憎めない人懐っこい奴を人が好むのは当たり前だ。

 

Go Wild 仕掛けて仕掛けて仕掛けまくる。

評論家にならずいつまでも社会を変えるプレーヤーでいようと思う。年内は少し忙しいのでこんなところで。それでは。

 

 

未来を創る

f:id:koheisblog:20201028081922j:plain気付いたら10月の残業時間がすごいことに。手持ち無沙汰な状態よりも目の前に常にやることがあった方が、半人前の僕には丁度いいので感謝してる(といいつつも辛いものは辛いが)。

 

実は今月、大学時代の先輩に会いに徳島県まで行ってきた。既に何人かの方の頭には思い浮かんでいるとは思うが、そう人生初めて独立リーグの野球たるものを観戦した。まず驚いたのが投手のレベル、完成度の高さ。僕が野球界から離れて以降の3年の間に野球界全体が爆速で進化したことも背景としてはあるが、にしても完成度が凄く高い。それを証明したのがまさに今回のドラフト会議で、僕が観戦した同球団からは2名の投手がプロ入りをした模様。六大学という狭い世界にいた僕は素晴らしい素質を持った選手がここにもいるんだと驚いた。

 

昨今独立リーグもチーム数が増え、従来の大学や社会人野球に留まらず、高校を卒業した若者が活躍できるフィールドが増えている。プロ野球も3軍が出来始め、各球団、才能のある選手を1人でも多くと獲得に動いている(巨人が今年のドラフトで育成枠で12名の選手を獲得したのには驚いた)。有識者ではないのでクリアな答えは分からないが、その背景にはある程度ごそっと選手を獲得しないと誰が今後伸びるのか分からないというスカウンティングの限界がそこにあるのでは?と当方はguessしている。n数を増やせば上の舞台で活躍できる人は必然的に増える。

これ以外にも、NPB自体も16球団構想を検討していたりと明らかに活躍できるフィールドは数年前よりも広がっていると思う。

 

東京に戻る機内でふと考えたことがある。

 

「活躍できるフィールドは増えているが、金の卵を育てるだけの充実したインフラ設備が日本にあるのか?」「身体を動かせる環境はあるとしても、単なる場の提供に留まらずプレーヤーのパフォーマンス向上をサポートできるインフラは提供されているのだろうか?」

 

例えば球場。既存の自治体が保有する球場はあまりにoutdatedで、データドリブンな現在なスポーツ界とインラインとなっていないのではないか。球速表示すらされない球場もある。

 

室内練習場。高校球児が雨天時に練習できるような環境が整備されていないのではないか?

 

基本的にこういうインフラ的なスポーツ面の課題はこれまであまり議論されてなかったと思う。むしろスポーツ界に従事する人は取っ付きやすい指導現場や技術面に話が向かいがちな印象を受けている。

 

ではこの問題に誰がアタックする必要があるのか?前提として余りにも膨大な資本コストがかかるから相当なお金を持っている組織でないと動かない。地方自治体か?限られた財源故に、彼らのroleはあくまで身体を動かす場の提供に留まる。プロ野球界か?そもそも殆どの球団が赤字だし、足元でも球場を自前で持っている球団がマイノリティで、彼らが主体となり動きだすことは考えにくい。

 

現時点では誰がという主語が分かっていないが、誰かがキックオフしてボールを蹴り出さないといけない。僕が現時点で貢献できる隙はなさそうだが、問題意識を持った以上何か動かないとなと感じ始めた。

 

現時点でクリアな答えや具体的なイメージは持ち合わせていない。ただそれは動きながら解をだしていけばいいと思っている。その為にもかなり根気強く且つ数十年単位でworkし続ける必要がある。道が引かれているとは思わず、未来を創る、壮大な実験としてこの構想に動こうと思う。

 

データドリブンな野球インフラを整える。

恐らく数年後には仕事の関係上、海外に駐在することになり日本にいない期間があるがそれでも粘り強く続けて数十年後には解を出したい。

 

 

ps.賛同してくれる人がいれば是非ともに動きましょう。野球を全く知らない人ほど大歓迎です。

若いうちにもっと否定されたほうがいい

f:id:koheisblog:20201004005805j:plain先月は上司とのキャリアアセスメント面談やパフォーマンスレビューがあり自分の成果や貢献度を振り返る機会が多い1ヶ月だった。これからどういうキャリアを歩むのか、どういうスキルを伸ばすのか、先の事をいつも以上に考えさせられた。

 

面談では自己評価と上司からの評価に大きなズレがないことを確認することができた。お忙しいのに自分の事をよく見ていただき、上司には本当に感謝しかない。人からfeedbackを貰えることのありがたみを改めて痛感した。お前はああだこうだと指摘して頂けることは雇われ者の特権で、僕みたいな大した能力もない人はどんどん否定され、自分の意見や仕事への取り進め方を磨いていったほうがいい。

 

「自分がAだと思うものに対して上司がBと言ってる」

 

だいたいの人はこういうケースが起きた時、あいつは分かってない、あいつとは考え方が合わないと難癖をつける。気持ちは分からなくないが、重要なのは、きっと自分には見えてない何かをその人は見てるんだなと考えることだ。

 

自分のような野球漬けの日々を送ってきた鼻くそ学部卒には一定のレベルまで自分の能力を引き上げてくれる厳しい人が成長する為には必要不可欠だ。だから若いうちはとことん上司に怒られた方がいいし、逃げずにどんどん絡みにいった方がいい。プライドなんか捨てて、上手くやろうとせず、とっ散らかっててもいい、兎に角優秀な上司に時間を貰った方がいい。「若いオレと話せて貴方も嬉しいでしょ??」と、とんでもない勘違いをするくらいでいいと思う。独りよがりになるよりよっぽどまし。

 

最初のキャリアを伝統的な企業に入り、優秀な上司のもとじっくり実力を付ける判断をした自分は我ながら正しかったと嬉しく感じた。

 

以上

仕事の対価は仕事。今月も頑張りましょう。

【読書 2020.9】「言語化力 言葉にできれば人生は変わる」

f:id:koheisblog:20200922120349j:plain読書の秋だからという訳ではないが、備忘も兼ねて今月読んだ本の重要なポイントをこのブログに記録したいと思う。まずは9月に読んだ本の内容を記す前に、僕の読書に対する姿勢について簡単に触れておく。

 

基本的に僕は読書が大好きで、時間があればkobo電子書籍を読んでいる。新しい本を手にした時のあのワクワク感がたまらず、時間を見つけては本屋に行ったり、ネットショッピングでいい本がないかサーフィンをしている。ただ僕のルールで読む本は月に1冊までと決めている。理由は2つ。

 

①色々読んでもキリがないから

②本を読むことはあくまで受動的な学びだから

 

大型の書店に行けば沢山のビジネス書が所狭しにならんでいる。表紙のタイトルもセンセーショナルなものが多く、デザインもかなりイケており、思わず手に取ってしまう。ただその殆どが角度を変えてアイデアを述べているだけで、書かれていることの本質に就いてはどれも同じ内容だと最近気が付いた(特に自己啓発系は)。みんな上手に変化球を使って表現や角度を変えているため、読者が納得できる内容に書き下ろされているが、言わんとしていることのコアな部分にはあまり大差がないと思う。この意見には突っ込みが入りそうな気がしているが、そう思わないと本だけ読んで人生が終わってしまう感じがしているため、若干乱暴な意見だと自分でも認識しているが、寧ろそう思うようにしている。そう思わないとあれもこれもとキリがない。

 

この考えには反論があるのは百も承知だが、全部を知る必要は全くないという僕の主張も間違ってはいないと思う。Excel、英語、データサイエンスなどのスキル系、問題解決、組織論などのマインド系、どれもある程度分かっていれば充分だと思う。出来ないことは全く恥ずかしいことではなくて、出来すぎる(知りすぎる)ことのほうが何に時間を使っているのか少し心配になる。数冊かじってみて、60点くらい分かっていれば全く問題ない。あれもこれも必要と思う変な強迫観念は捨てよう。

 

また学びが他者の視点に偏重することも望ましくない。自らが自身の経験を通して何を学んだのか、この主体的な学びの方が読書よりもよっぽど重要で意味がある。本を読んで勉強した気になるのではなく、実際に何かを経験してみて感じたことを自分で脳に叩き込む方が意味深い時間になる。僕はそういう事に時間を使いたいと思っている。

 

よって僕は多くの本を乱読するようなことはしない。寧ろ読んだ本を何回も繰り返し読むようにしている。誰になんと言われようが必要になる知識、スキル、考えだと自分が感じた「自分の中の名著」を繰り返し読むことにしている。読むタイミングによって見方や感じ方も変わり、3回も4回も読むことで味が出る。感覚としては予備校の参考書のようなものだ。その本のどこがよかったのか、何が著者のメッセージなのかを質問されたときにすぐさま回答できる状態が理想。なので何冊も手に取ることはしない。そんな時間があるなら、ブログを書いたり、プライベートの時間、仕事とは別枠で動いているプロジェクトに時間を充てたりと、もっと他の活動のために動くべきだと思う。

 

ここまで簡単に僕の本との向き合い方について紹介したが、ここからは今月読んだ「言語化力 言葉にできれば人生は変わる(著: 三浦崇宏)」に就いて書こうと思う。

 

過去のブログ記事を読んで頂いた方には既にお分かり頂けていると思うが、僕は言葉の使い方には強くこだわって生きている。そしてこの本には言葉がいかに大切かという点が様々な角度から書かれている。この本を自己啓発と片付けられてしまうことは凄く残念で、皆さんには3-4時間で読めるから是非手に取ってみて欲しい。

 

言葉をどのように使い、自らのアイデアをどう発信していくのか、このスキルは義務教育期間中に学んでおくべきだと僕は思う。自分が発した言葉が相手に対しどう捉えられるのか。ポジティブな点では、どうやったら人を動かすことができるのか、ネガティブな点ではどうやったら人を不快にしてしまうのか。下品で攻撃的な想像力を欠いた言葉を使わずに他者に動いてもらう。その重要性がこの本では語られている。著者の三浦さんも当方と同じ意見を持っていたから凄く嬉しかった。

 

最近はSNSで炎上することを正としたり、Twitterで制限された140字の中で上手く表現すべきだという論調が正とされているのをよく見かけるが、そういった風潮には少し違和感を感じる。140字を越えて141字になろうが、自分の考えを攻撃的になることなく正しく伝えるスキルは重要で、それに反するような文章は使うべきでない。背景や理由、何を伝えたいかを文章にし、毒を抜く。この本を読んで改めて言葉を正確に扱うことの重要性を強く感じた。

 

エネルギーはあるが仕事を上手くまわせていないと感じている人、自分の発言がチームや上司に響いてないなと感じ人は是非手にとってみてほしい。