どこぞの誰かに届くといいなと思う3つのメッセージ

 

引退したスポーツ選手や学生がよく「引退して熱中できるものがなかった」と職を転々とするケースがあります。ですが、まずは熱中できるものがないと生きていけない病を治した方がいいです。残念ながらあなたの情熱を社会は期待しておりません。目の前のやれることを淡々とやりましょう。生きていれば大なり小なり役割があるはずです。

何事も簡単に答えは出ません。できるようになったと思ってはまた次の壁が現れます。疲れます。我慢が必要です。そんなもんだと思っていきましょう。3歩進んで、2歩下がります。それでいいんです。

幅広く力を鍛えましょう。おそらく、僕らがおじいちゃんになる頃には70歳くらいまで働くことが一般的になると思います(社会と関わることで孤独になることから回避をしている生き物なので、むしろ働き続けた方が良いとも僕は思っています)。40歳になってもまだ道半ばです。芸の肥やしだと思って色んなことに真摯に向かい合いましょう。やっていることの意味を考える必要はないです。人間が生きる上で必要のない野球という娯楽をやってきたんですから。意味を問うのはやめましょう。

お疲れ様でした。第二のステップも共に頑張ろう。

 

ポルトガル語研修

語学研修が始まって7ヶ月が経過した。残り5ヶ月でブラジル人と仕事ができるレベルにまで語学能力を上達させなければならないことに少しずつ焦りを感じている。1年間仕事をせず語学だけに全時間をベットすれば簡単に上達すると思われているが、現実はそこまで甘くない。僕は学生の頃から語学学習が好きだったし、向いていると思っていたが、与えられた1年間では到底足りず、皆さんが想像するレベルにまで到達するにはトータルで2.5年くらいは少なくともかかるという印象を持っている。というのも、語学学習の成長には段階がありネイティブのレベルにまで到達するためには、単に勉強量を積み重ねれば良いわけではなく、一定程度の時間の経過(経験の蓄積、順応)が必要だからだ。だからといって日々の単語・文法学習を放棄していいわけではなく、そういった基礎練習を日々黙々とやっても2.5年かかるという意味なので、僕も毎日必死にコツコツと頑張っている。

 

語学能力はスピーキング、リスニング、リーディング、ライティングのたった4種類だが、必要となるスキルは非常に細かく多岐に渡る。例えば、スピーキングひとつとっても以下のようなスキルが必要となる。

 

  • 話したい内容を正しい単語を用いて誤解なく伝えられる
  • 時制を正しく表現できる
  • 発音・イントネーションよく話せる
  • 論理構成の組み立て方がネイティブに近い
  • ネイティブの間合い・ジェスチャーを真似できる
  • 尊敬語・謙譲語・丁寧語を適切なレベルで使用できる
  • 書き言葉と話し言葉を区別できている

 

スピーキングに関連するスキルを列挙したが、そもそもスピーキングは会話を構成するひとつの要素でしかないので、相手の言っていることが分からない場合(リスニング能力が不十分な場合)、上記のスキルは役に立たない。故に上に挙げた項目は必要条件の半分に過ぎない。ただ実際はネイティブが非ネイティブの言っていることを理解しようとする歩み寄りの姿勢が働くため、どれかが欠けていても会話は成立する。よって上記に挙げた項目の全てが本当に必要かと言われるとそうではない。ただし、僕は完璧なポルトガル語スピーカーを目指しているので、そういったネイティブがこちらの言っていることを理解しようとしてくれるサポートは期待しないようにしている。列挙した全てのスキルを漏れなく上達させるための練習を日々行なっている。

 

そしてこういったスキルを伸ばしていくために取り組むべきことは多くある。

例えば一番最初に挙げた「話したい内容を正しい単語で誤解なく伝えられる」ようになるために、僕が習慣にしていることは以下の通り(授業の中で話した内容を先生に適宜修正してもらっているが、それは自分一人で取り組む努力とはニュアンスが違うのであえてここでは記載していない。ただし、それがもっとも重要であることは言うまでもない。)

 

  • 邦画のポル語訳参考
  • ニュースからイけている表現をPick up
  • 視線に入った物象・概念を説明し、説明できる事象・概念を増やしていく
  • ポル・ポル辞典の活用
  • 一人会話

 

(それぞれがどのような取り組みかについての説明は面倒なので割愛)

 

ここまで細かくやっても7ヶ月では満足するレベルには到底到達できていない。

日本の英語教育をディスる人がいるが、大体の指摘は見当違いで、そもそも必要な単語量を保有していないことや上達に必要なスキルを主体的に学習しようとしていない学生側の姿勢が問題なのではないかと考えている。学校教育で補える範囲で英語能力を上達させられると考えているその前提が間違っている。他言語を習得するために必要な工程数は膨大で、学習中の外語国圏に住まない場合は5年弱くらいかかるのではないかと思う。磨くべきスキルとそのためにやるべきことは本当に多くある。語学学習は地味で、ネチネチと変態的に取り組まないと成果が出ない。

 

駐在地Belo Horizonteでの一枚。

 

いつも通りダラダラと書いたが、最後に。

「ネットに向かって打つんだけど、ネットに向かって打ったらうまくならない。」

 

僕の大学時代の恩師の言葉。ポルトガル語を学ぶために、ああでもないこうでもないと日々いろいろな努力をする。しかし、最終的にキレのあるポルトガル語が必要とされる緊迫感あるビジネスの場で力を発揮できるよう、その緊張感をイメージし、今その瞬間に学んだ単語や文法が実際の場でどのようにいきるのか・活かせるのかを考えながら取り組まないと本当の力にはならない。

 

残り5ヶ月間、やるべきことを積み重ねていく。

思考の癖について

ビジネスの世界では、答えがなく且つ先が読めないシーンが多くある。最適解を出すために、チーム内での深い議論が必要とされる。なるべく密度の濃い議論が出来るように、僕は自分の意見を用意する際「なぜそう思うのか」というロジックの準備をするのと同時に「なぜそう思わないのか」「前提を変えた場合どうなるか」「本来どうあるべきか」などを時間が許される限り考え、答えを簡単に出さないように意識している。とは言え、人間1人が考えられる思考量には限界があるため、チームで話してみて初めて気付く観点が多くある。なので相手から何を引き出すかという点はチームで働く僕にとっては重要で、これまで人の話をいかに聞くかという点を自分なりに勉強してきた。

 

中には切り口が甘い意見が出たり、べしゃりが上手くないが故にロジカルに聞こえないことがある。ツッコミを入れることで議論を深化させることは重要であるものの、相手を論破しようとする姿勢からは何も生まれない。健全な懐疑主義で物事にあたることは重要だが、仲間が言おうとしているエッセンスを拾いあげることも同じくらい重要である。

 

しかし、残念ながら人間には何かしらの思考の癖があり、相手を論破しようとしてしまう癖がDNAレベルで刷り込まれている。自分の意見が唯一の解であるかのように考え、それ以外の考えは間違っていると判断してしまう傾向がある。自分の思考の癖を認知しながら、仲間の意見を吸い上げることで認識を修正することがどうも苦手のようだ。

 

議論の目的は自分の認識を修正すること。

 

自分はこう考えがち、という傾向を認識し、仲間に適宜、軌道修正をしてもらう。チームワークとはまさにそういうことなのだと気付かされた。概念的な話だが、重要なので共有。

勉強しようね

Twitterのフォローは可能な限り減らし、深いインサイトが伴わない情報には極力触れないようにしてきた。29アカウントをフォローしていて、そのうち20アカウントがEconomist, WSJ, Reutersなどの情報サイトなので、リアル人間はうち10人弱しかいない。厳選している10名の中で、特に毎回いい投げ込みをしてくださるのは國領二郎さん(SFC教授)で、なんて素敵な大人なんだろうと関わりもないのに勝手に大尊敬している。

 

みんなと共有したいツイートが沢山あるが、中でも僕に強く刺さったのがこちら。

https://twitter.com/jirok/status/1510384440870014976?s=21&t=XRzzv34uArVUhHrOKsPn8g

 

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みんながこれまで気づかなかった新しい観点を与えてくれる系のツイートではないが、頭の中にたまに出てくる邪念のようなものを消してくれる非常に重要な投げ込みだと思う。

 

僕自身も「どうすれば新しい事業を展開できるか」「どう実績を残そうか」と日々悩むことが多い。商社という「ポジションが難しい職業」ならではなのかも知らないが、力不足を感じることが多くある。そう感じるのは失敗を恐れない気概が自分自身にないからでなく、またスキルがないからでもない。正しい認識がないから正しく行動できていないだけで、ただただ勉強不足なのだ。

 

勉強しようね。

ここから何か発展させて議論したいわけではない。

一緒に勉強しようね、と自分が年を重ねた時に若い子に言える大人になりたいし、分かった気にならずにこれからも勉強に励みたい。

 

2021年ありがとうございました

色々な経験をした2021年だったがそれらについて長々と文章を書くよりも、学んだこと・改めて重要だと考えたことをシンプルに箇条書きで残すほうが記憶に残りやすいと思いリストアップしてみた。

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セブンルール的に7つに絞られたのは偶々で、厳選に厳選を重ねて、この7つに絞った。どれも欠くことのできない重要なキーワードだ。

 

1. どんどん現場に行く

2. どんな案件でも首を突っ込む

3. 日々の素振りを怠らない(スキル・知識がないところにパフォーマンスは生まれない)

4. 腱反射的に物事を判断してはいけない/深く深く考える/簡単に答えを出さない/考えをどんどん壊す

5. 関係性を築く/ お近づきになる/ ご縁を大切にする

6. 技術的にどうなっているのか確認しにいく

7. グローバルスタンダードを意識する

 

1. どんどん現場に行く

自らが考えた仮説が机上の空論にならないよう現場の人にアポをとってどんどん話を聞きにいく。何かあれば相談できる有識者と関係性を築いておくこと。


2. どんな案件でも首を突っ込む

仕事は出来る人にしかふってこないため自ら機会をつくる。隣の島でやっていることに無頓着にならない。


3. 日々の素振りを怠らない

スキル・知識がないところにパフォーマンスは生まれない。ビジネスパーソンとしての素振りを怠らない。

 

4. 腱反射的に物事を判断してはいけない/深く深く考える/簡単に答えを出さない/考えをどんどん壊す

「ロジカルに考える」とは、思考をただ一直線に繋ぐということではない。答えを簡単に出さず、自分の思考を何度も壊す。最終的に全体を理解した上で物事を判断する。

 

5. 関係性を築く/ お近づきになる/ ご縁を大切にする

自分なりの関係性を築き、相談しやすい環境をつくっておく。独善的にならない。

 

6. 技術的にどうなっているのか確認しにいく

情報を処理する際、表面をさらうだけではなく、なぜそれが可能になっているのかまで調べること。物理的・技術的・科学的にどうなっているのかを確認すること。

 

7. グローバルスタンダードを意識する

世界にはもっと高度な案件を請け負っている94年生まれの優秀なビジネスパーソンが沢山いる。彼ら彼女らの視座の高さを忘れない。

 

今年も多くの方に支えていただたいたおかげで一年を走り抜けることができました。御礼申し上げます。2022年も引き続きどうぞよろしくお願いいたします。

 

カタチにする必要はない

激務の1ヶ月が終わった。僕はビジネスマンだが、季節労働者なので、海外拠点がクリスマス休暇に入る前のこの季節は毎年業務量、業務時間が増加する。やっと一旦落ち着いたので、頭の中を整理しあれこれ考える時間を設けた。

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僕は昔から焦って色々なことに手をつけようとする悪い癖がある。隣の受験生が持っている参考書を青芝に感じて、自分も購入し、帰ってすぐに手をつけるも続かないタイプだった。不安になると今取り組んでいることを否定し、別のことに目が移ってしまう。最近ではそういう悪い自分が出てきたタイミングで自身を落ち着かせるために「ポテンシャルの低い自分レベルがまぁまぁ上手くやってる」「いい感じで成長できているのではないか」とハードルを下げて肩の力を抜く機会をルーティーンとしてあえて設けている。

 

前のクエリにも書いたが、社会人になってから、貴重な自分の人生の時間を今担当する業務だけに費やすことで生き方として正しいのか疑問に思うようになった。最近の例で言うと、安宅さんがよく言う「残すに値する未来」を創るために、自分も何か世のために動くべきと考えるようになった。既存の業務に従事することよりも、新しい世の中の動きに自分の時間をベットしたいと思うようになった。また、僕はコメンテーター的な生き方をする人が嫌いなので、自分自身もプレーヤーとして生きることに拘っている(野球ではプレーヤーとして活躍できなかったので尚更その思いは強い)。なので、カタチにすることにトコトン拘っている。カタチにならないモノに意味はなく、打率低くとも打席に立ちバットを振ることにこそ意味があると考えている。

 

しかし、最近ではそういう考えで仕事にあたりすぎるあまり答え・成果を早く求めすぎる傾向にある。カタチにするにはもう少し長い期間、スキル、人からの協力、周囲の同意、市場動向の変化が必要なのだが、「何かやりたい」が先行して、予定調和なoutcomeになることが多い。自分の悪い癖が出ているのを改めて痛感した。

 

この僕の性格は良く言えばマグロで、動いてなければ死んでしまうネイチャーなのかもしれない。悪く言えば、必要のない変な正義感があり、周りを困らせてしまう面倒な人間なのだと思う(頷いてる人が数名いる気がする)。

 

カタチにする必要はない。

パズルを完成させるためには、まずはピースを揃える必要がある。月並みだが、来るべき時に備えて、まずはやるべきをことに集中する。焦る心を鎮めて、二十代で付けておくべきスキルセットの研鑽に励むとする。

武器は何か

今週上司との評価面談があった。仕事やチームに対する姿勢を華丸で評価して頂いた。入社時のスタート地点が低すぎるだけで、4年目なのでこれくらいは、、という思いがあったため、嬉しさ半分恥ずかしさ半分だった。2年目以降は労を惜しまず、仕事をいなさず、好き嫌いなく業務に挑んできたので、自分が意識してきたまさにそれを評価頂いたことは大変よかった。でも、なんだか手放しで喜べない感情もあった。この感覚は何なのだろうと振り返ると、献身的な姿勢を褒められているだけなのでは?と考えるようになった。

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人生のモットーとして、僕は今の状況が楽しくないと思うことは自分の人生に対して失礼だと思っているため、向かいあっていること、努力してきたことを無駄だと思うわないようにしている。ただ今回褒めて頂いたのは、姿勢を評価してもらっただけで、武器を持って戦場に向かっていたわけではないのではないかと疑問に思いだした。

 

僕は武器を持つ人が結果を残す訳ではないと思っている。むしろ武器にしがみつく奴、何にもできない説信者だ。こいつ球は速いんだけどな、、、いい変化球投げるんだけどな、、、という人種が必ずしも勝てる投手になるわけではないのと一緒で、財務会計の知識、英語力を備えたビジネスパーソンがプロジェクトを前に進められる訳ではない。そういう人間がコメンテーターに走り、戦場に出ようとしないことは往々にしてある。なので基本的にそういった武器に傾倒しすぎる人は危ないと思ってる。話を良い方向に導いてくれるのは、問題の整理が上手くて、チャーミングで、関係各所と取り合ってくれて、交通整理が上手な人だと思う。

 

なのでベースとしては武器傾倒は避けたいと思っているが、武器がないと世の中・組織では相手にしてもらえない。取り合ってもらえない。自分は〇〇な価値を出すのが得意ですとアピールできないと人は本能的に区別をし、注目してもらえない。

 

では、どんな武器を?いくつ?どの程度?備えるべきか。


考えるものの答えがでない。分からないから分からない。人生のコツを掴んでいないんだと思う。


しかし答えがでないなりに武器を持つ上で重要なことで、なんとなく分かった事がある。それは

 

1. 希少性が高いこと

2. インスタントではないこと

3. 複数の領域にまたがっていること

4. 得意 〉好き であること

 

コモディティ化せず、無競争空間で、習得のハードルが高く、総合的で、自分に向いていること。

 

こんなイメージを持っている。

 

書店をぶらついても、興味のない動画を敢えて見てみても、ロールモデルっぽい人を覗いてみても、答えが見つからない。

 

得意そうなこと。誰か教えてくれ。

 

この一年でターゲットを見つけて動きだしたい。次のステージに向かいます。オチがない文章だけど、オチがないうちに書いておきたいことだった。いつか見つかるといいな。