MLB 高齢監督の現場復帰ニュースから考えること

先日野球評論家お股ニキさんが以下のネット記事をリツイートしていた。

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(https://www.nikkansports.com/m/baseball/mlb/column

/mizutsugi/news/202011070000976_m.html?mode=all)

 

本記事の要旨は「昨今MLBでは70歳を超える老齢の方が現場に復帰するケースが多く、監督に求められる能力がデータを操る能力よりも組織をマネージする能力にシフトしている」であった。マネーボールに代表されるように、データドリブン的な野球を繰り広げできたMLBが再び非データ的な要素にスポットライトを当ててチーム運営を行う方向に転換している様が記されている。

 

数量データに傾倒しすぎている現状からの脱却がMLBでは既に起こっていることをこの記事は暗に示しており、示唆に富む内容だと感じた。お股ニキさんがリツイートした背景にもそういう重要なメッセージが込められていたのではないかと僕は推測している。

 

記事なのでDetailまでは書かれていないものの、この記事からはSTEM的なアプローチと人文科学的なアプローチのバランスが重要であることが分かる。野球界に限らずの話だが、Science, Technology, Engineering, Mathematics この4分野がコーランであるかの如く世界の知的生産を始めとした問題解決思考に於けるベースとなっている。要するにテクノロジー至上主義が世界を席巻しており、数字に落とせない審美眼的な価値は軽視される傾向にある。もっと平易に言えば、野球界の場合、OPSという数量データはmake senseする腹落ちの良いfactとして捉えられているが、サイエンスやテクノロジーで説明ができないポール間50本のダッシュは無価値なものと整理されている状況がまさにこれにあたる。

 

可視化されたデータを唯一神の如く捉え、それを軸に野球を紐解こうとする姿勢は誰の目にも間違えはないように見えるが、そこには危険も伴っている。具体的に見ていくと

 

数量データには

①因果関係が示されていないこと

②コンテクストが示されていないこと

③無視される項目が大量にあること

 

①数量データには因果関係が示されない

数量データには因果関係までは含まれていない。打者Aの空振り率が15%という数量データから分かることはストライクに対し15%の空振りをするという過去のfactだけで、何故15%も空振りをするのかという因果関係までは示されていない。こう聞けば当たり前の事と皆感じるが、数字を目の前にすると人間の思考は停止しがちである。チャンスで打席に立った選手の得点圏打率が5割と解説者が話すのを聞いて理由もなく期待してしまうのはまさにこの状態で、知らず知らずのうちに数量データを過大評価してしまっている。

 

②数量データにはコンテクストが示されていない

因果関係に留まらず数量データには文脈がない。数量データからは「左投手」の「低めのスライダー」を「カウント2ストライク2ボール」の時に「空振り」したというような表面的な情報は容易に手に入れることができるが、もっとdeepな情報は手に入らない。そもそもだが「空振り」という結果はそんなに単純でインスタントな結果ではない。寧ろ非常に複雑で紐解くのは容易ではない様々な複合的要因を背景に発生する結果である。例えばその低めのスライダーを振ってしまった背景として、実は昨晩のスポーツ番組の1シーンで、対戦相手の投手が前回登板の時に自分と似たようなタイプの打者に甘い変化球をスタンドに運ばれていた映像を見て、その映像が残像として残っており、変化球では勝負してこないのではないかと勘繰り、直球に山をかけて振りに出たところ裏をかかれて変化球だった。こういう文脈も十分にあり得る。つまり結果とは複雑な文化的要因が幾重にも重なって実行されたゴールであり、数量データのような薄い情報のみからは実態は分からないことが殆どである。

 

③数量データには無視される項目が大量にあること

空振り率15%という数字の裏ではノーカウントとなった85%の非空振りデータは無視される傾向にある。また意図的に空振りをすることで投手との駆け引きを優位に進める選手がいる。そういった事項も数量データからは読み取ることができず、なかったことにされてしまう。

 

ややガス欠になり尻すぼみしたが数字が全てと考えているひとが多いが、深いinsightを持つためにはなぜそういう判断をしたのか、人間的な視点やその文化を理解することが重要である。きっとMLBの幾つかの球団も数量データには現れない長年の経験から培った直感力、嗅覚、STEMでは立証しきれない野球への深いinsight、これらの重要性を再認識しているのだと思う。

 

一点お含みおき頂きたいのが、STEM的なアプローチを取ることに対する危惧を述べているのではなく、失われたバランス感覚に対して問題意識を持っている。もっと人間的な、簡単には理解できない複雑系な文化システムを理解する必要がある。

 

今回は以上、次回は2020年の総括を年内に一本纏める予定。