思考の癖について

ビジネスの世界では、答えがなく且つ先が読めないシーンが多くある。最適解を出すために、チーム内での深い議論が必要とされる。なるべく密度の濃い議論が出来るように、僕は自分の意見を用意する際「なぜそう思うのか」というロジックの準備をするのと同時に「なぜそう思わないのか」「前提を変えた場合どうなるか」「本来どうあるべきか」などを時間が許される限り考え、答えを簡単に出さないように意識している。とは言え、人間1人が考えられる思考量には限界があるため、チームで話してみて初めて気付く観点が多くある。なので相手から何を引き出すかという点はチームで働く僕にとっては重要で、これまで人の話をいかに聞くかという点を自分なりに勉強してきた。

 

中には切り口が甘い意見が出たり、べしゃりが上手くないが故にロジカルに聞こえないことがある。ツッコミを入れることで議論を深化させることは重要であるものの、相手を論破しようとする姿勢からは何も生まれない。健全な懐疑主義で物事にあたることは重要だが、仲間が言おうとしているエッセンスを拾いあげることも同じくらい重要である。

 

しかし、残念ながら人間には何かしらの思考の癖があり、相手を論破しようとしてしまう癖がDNAレベルで刷り込まれている。自分の意見が唯一の解であるかのように考え、それ以外の考えは間違っていると判断してしまう傾向がある。自分の思考の癖を認知しながら、仲間の意見を吸い上げることで認識を修正することがどうも苦手のようだ。

 

議論の目的は自分の認識を修正すること。

 

自分はこう考えがち、という傾向を認識し、仲間に適宜、軌道修正をしてもらう。チームワークとはまさにそういうことなのだと気付かされた。概念的な話だが、重要なので共有。